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「なぜ、平均律が生き残ったのか?」




現在の鍵盤楽器に標準的に採用される音律は「平均律」です。
電子楽器の一部に、古典調律が付いている、という所ですね。


(1) やっぱりなんだかんだ言っても、平均律が一番優れているから?

うむ。この意見、やみくもに否定するものでもありません。私は色々な古典調律と聞き比べてみて、確かに平均律の響きは洗練された、そして時代の雰囲気に合った音律なんだな、ということを再認識しました。
しかし、だからといって「平均律だけでOK!」というのは、ナントカ主義的な胡散臭さを感じてしまうのですが。


(2) ピアノの表現力の向上→音律の重要性の低下

調律法がさかんに議論されていたのはまだまだピアノが未熟だった時代でした。
音域も音量も現代のものと同レベルに達してからは、あまり重要な音律の提案はなされなくなりました。
音域や音量、音色等の表現力の幅が大幅に向上し、その全体をどのようにバランスをとるかというだけで大変な仕事になってしまった結果、微妙な音律の差による雰囲気の差、というのものの重要性が相対的にどんどん薄れていった、ということは言えるような気がします。


(3) 騒音の増大→音律の退化

調律法が平均律のみに修練されていく過程というのは、19世紀の産業革命の時代でもあります。
音律の微妙な音程の差、というのは、まず前提として周囲が十分に静かでないと、人は認識できません。
これは人間の耳の特性からしてそうなのです。どんなに優れた調律師でも騒がしい中で調律はできないのです。
空調の音でさえ障害になることもあるほどです。
しかし、時代が進むにすれて、音楽のおかれる環境が騒がしくなり、つまり聴く側にとって微妙な音程の差などわからないわけで、使い勝手がよければ何でも良い→平均律、となったとしても不思議ではない訳です。


(4) 平均律以外の音律は、身の回りに無いのか?→そんなバカな。

現在、私達が普段耳にしている音楽の多くは、すでに平均律ではありません。
純粋な平均律のみで成り立っている音楽の方がずっと少数派でしょう。もちろん、古典調律はもっともっとずっーーーと少数派ですが。
どういうことかというと、ふだんよく耳にする音楽は、歌手なり、独奏楽器を中心として構成されます。当然ながら歌手や独奏楽器は平均律ではありません。ありえません。つまり鍵盤楽器音楽の枠の中だけで見れば平均律が大勢ですが、音楽全体としてみないと、本質を見誤るということです。





もし、音律が平均律に1本化されるのがルネッサンスの初頭であったなら、その後のヨーロッパの音楽の飛躍的な発展ははたして有り得たでしょうか? 与えられたものを何の疑問も無く受け入れる人たちに、真に新しい音楽が作れるのでしょうか? ルネッサンス以降の音楽の発展は、永い歴史を持つピタゴラス音律を否定するところから始まりました。
ここで一度、あえて平均律を全面否定してみることが、次の時代の音楽を切り開くカギになると私は考えます。



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キーワード:

音楽 , クラシック , ピアノ , 調律 , 平均律 , 純正調